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西宮文化協会会報にエッセイ掲載

「私の家は緑の屋根、向かいのカルパス温泉は赤い屋根。カルパス温泉にも私の家にもステンドグラスがあって、この辺りはとってもハイカラな街並みだったのです。」

甲陽園の洋館に70年間暮らした鈴木さんの回想からはじまる「甲陽園のカフエーパウリスタ」というエッセイを西宮文化協会の会報に寄稿させていただきました。西宮市役所情報公開課の豊田さんから文書で残してみてはどうですかと西宮文化協会をご紹介いただいたのです。

  

映像を作ると決めたのは昨年の8月。9月には元カフエーパウリスタの建物の解体作業がはじまることが決まっていました。その建物に70年間暮らしてきた荷物は膨大で、連日泊まり込みで作業しても片付かないという状況でかなり疲労が溜まっていたと思われます。それなのに嫌な顔ひとつせず手を止めて昔話をしてくれたのが、エッセイ冒頭に紹介した鈴木さんでした。

 

鈴木さんが語る話はカフエーパウリスタが閉店してからのものでしたが、建物が改修される前の幼い頃の建物の記憶には、天井に滑車が付いていたり、馬をつなぐ場所があったり、角にタバコ屋さんがあった痕跡が残っていたりとカフエーパウリスタとして使われていた頃の片鱗を留めていて、私のイメージはどんどん膨らんでいきました。

 

甲陽園は私が大阪の住吉から引っ越してきて20代を過ごした場所。マンションの窓から見える夜景は手が届きそうに近くでキラキラと輝いていて毎日見ても見飽きることがありませんでした。そんな大好きな甲陽園のカフエーパウリスタの解体という歴史的な一コマに立ち会えることが出来たのも、何か目に見えない運命のようなものを感じないではいられません。